翌朝。4人は、主にティアが先日の戦いで壊れた武器の調達のため道具屋を訪れていた。
 改めて来てみると、初めてティアと出会った場所。ナシェルはなんだか感慨深く思っていた。
 それも束の間、彼女は弓矢を新調し道具屋を背に掛ける。一行はその足で魔法屋へ向かった。
 エリアごとに特色ある魔法の属性。各エリアで3人は各々魔法を習得する。
 ナシェルは光がバニーの耳から出ていたのを見逃さなかった。どうも、忘れられそうにない光景である。

 やがて4人はセンターを出、北東へ延びる街道に出た。
 その道すがらティアがふと口を開く。
「それにしても、あんなトコに獣人の村に繋がる地下道があるなんて初めて聞いたわ」
 ライオネルの耳がピクリと動いた。
「ん、何だティア、お前はあの湖に何か覚えでもあるのか?」
 彼の問いにティアは曖昧に答える。
 そこをローズに突かれた。
「で、その地下道とやらの事、もしかして知ってたりする訳?」
 ティアは首を振った。
「ううん、分からない。あの近く、洞穴ほらあなはいくつかあるけど、地下道なんて大袈裟なものは無いわ」
 それに知ってたら今頃獣人の村なんか残って無い。とティアが付け足し、ナシェルもライオネルもローズも納得。
「じゃぁ、グレンさんが嘘を吐いているとでも言うのかい?」
 ライオネルの隣り、女2人の前を行くナシェルが振り返り問う。
「分からないわよ、そんな事」
 それもそうか。再度納得。
「ともかく、今は行ってみる他あるまいよ。そうだろ?」
 ライオネルの無害な微笑みに3人は頷く他はなかった。

「近くで見ると……雰囲気あるわねぇ」
 コウモリの巣窟と化している廃教会。なんだか甘い香りが漂ってくる。
 屋根にある傾いた十字架や壁面を伝う雨垂れの黒ずみが月日を物語っていた。
「孤児院が何年か前に廃棄されたと聞いたが、もしかしたらここか」
 割れたガラス。すっぽりと抜けた壁面の一部。よく見ると十字架の一部には白銀の煌めき。
「中へ入って見ようか。まだ先は長い、休憩を取ろう」
 まばらな木々の向こうに見える大湖を目の端に捉え、ライオネルは促した。
 扉を開けるついでみたいに彼はこの建物について教会を改装したものらしいと漏らす。
 改装したもの、との話だがその内装はほとんど教会のものだった。廃棄する際に全て引っぺがしたのやも知れない。
 固定された長椅子が左右に数行並んでいる。その椅子は腐食され、大人が座っただけで崩れてしまいそうなものすらあった。
 そして、何より黴臭く、埃臭い。
 ライオネルがくしゃみする。
「むぅ、ダメだな。すまん、私は外で待つとするよ」
 探検したかったのだが、体が受け付けん。と言葉にくしゃみを挟みながらライオネルは渋々と廃孤児院を出て行った。
「ねぇ、ナシェル。話があるんだけど」
 ライオネルが出て行ったのにも気付いていない様子でティアが言う。その視線はぼーっと教会特有の雰囲気を前面に押し出している孤児院の空気を彷徨っていた。
「話?」
 ナシェルは首を軽く傾げる。ゆっくりとティアの脚が奥へ運ばれた。
「うん、こっち来て」
 静かに進み、左手にある小さな扉へ手を掛ける。
 ローズは小さくなる2人の背に別れを告げる事なく外へ出た。

 ボロボロの柵に囲われた中庭。そこは荒れ果て、背の高い草に覆われていた。
「ティア、話って?」
 一陣の風。甘い香りがナシェルの鼻腔をくすぐる。
 ティアは背の低い草に囲われた若木の元へ歩み寄り微笑んだ。
「不思議……こんな所でも、懐かしいって思うのね」
 彼女はそう呟き若木に生る小振りの赤い果実をもいだ。
 それを小さな口でひとかじり、眉を顰め白い果肉を地に吐き捨てた。
「やっぱり、手入れしてなきゃこんなもんか」
 ポイッと彼女はその果実をナシェルへ放る。それを彼は両手で危なげなく取った。
 ティアの歯形が残っている。
「間接キスなんか狙うんじゃないわよ」
「なに言ってるんだよ」
 ナシェルはティアに彼女自身の歯形を向けて一齧り。口の中に香りとは裏腹、渋みと酸味が広がった。
 彼女はナシェルの顔に含み笑い。
「無理しないで吐いちゃいな」
 何となく吐き出せずナシェルは口の中の果汁を飲み込んだ。
 口の中に嫌な酸味が残った。
 一匹のコウモリが木へ飛び移り、果実に傷つけ汁を啜る。
 昼間から奇特なコウモリもいたものである。
 ふう、とティアは溜息にも似た吐息をついた。
「あのね、私、ここに住んでたの」
 コウモリが飛び去る。
 ナシェルは静かに彼女の声に耳を傾けた。
「私、漁村ボロの出身なんだけど……小さい頃から父親には虐待されてた」
 彼女はそっと太腿を露出してみせた。そこには大きな傷跡。ナシェルの眉間にしわが寄る。
「それで、とうとう逃げ出して、ここに拾われたの」
 傷を隠して続けた。
「でも、ここでの生活も地獄だった」
 今の今まで黙っていたナシェルがその言葉に口を開く。
「どうして? 孤児院なんだろ?」
 ティアは俯き加減に微笑んだ。一種諦めみたいな、過去の話故の感情がそこに滲んでいた。
「孤児院だからって善良とは限らないのよ」
 表情は一転、侮蔑。それも殺意に近いものの込められた色となる。
「ここは孤児の頭数で配布されるセンターからの援助金目当てに私を拾ったのよ」
 その声には忌々しげな感情が込められていた。
「だから孤児にお金を使うなんてとんでもない……死なないだけマシって生活だったの」
 ナシェルは醜いものでも見るように顔をしかめる。
「なんてひどい」
 それにティアはふっとはにかんだ。
「あんたなら、絶対そう言うと思った」
「だって」
 ティアは静かに瞳を閉じ、息を荒げたナシェルを制す。
「いいの。ありがとう。それでね」

 追憶。セピア色の風景。
 1人のシスターが少女を睥睨する。
「あなたはまだ自分の立場が解っていないようですね」
 絹の修道衣に飾られた醜い女をティアは呆然と見据えていた。
「あなたをここへ引き取ったのは慈善事業ではないのです」
 椅子に座る数人の薄汚い麻布の服を纏う少年少女達の視線が二人に注がれる。今までに何度かあった事であるが、今回は様子が違うと彼らも肌で感じていた。
「孤児院はセンターからの援助金で運営しています。あなたがいなくなれば孤児の頭数が足りなくなるのですよ」
 ヒステリックな声がティアの癇に障る。
「そうなれば、センターからの補助金が減ってしまうではありませんか」
 ぎりっ、とティアは見えない衣を噛み千切った。瞳は明らかな敵意を孕む。
 シスターの言葉に子供達も怒りを暗に抱いていた。
「結局、お金なのね……何もかも」
 幼い日の父の言葉がフラッシュバック。
 彼女はギロリとシスター達を、神父を睨み扉へ足を向ける。薄暗い空の下へ消えて行く。
「どこへ行くのです!? 待ちなさい! ティア!!」
 背中に掛かる怒声。しかし、耳には届かなかった。

「それからは……私は、他人を信用しないって決めたの」
 鋼鉄の冷たさを宿すその薄い笑みはひどく綺麗なものだった。
 ナシェルは無表情にぼーっと口を開く。
「そんな事が」
「こんな話、誰かにするのは初めてよ」
 ティアは果実の生る木へ向き直り、樹皮を撫でた。
「ねぇ、ナシェル。幸せってなんなのかな?」
 パッと答えの思いつく問いでなければ、答えのあるものでもない。ナシェルは考える素振りを見せた。
「人から見たら、私は不幸かもしれない。親に、虐げられて……金儲けに、利用されて……自分は不幸なんだって思ってた。可哀相だ、って」
 くるり、と彼女はナシェルへ体を向ける。
「でも、私の事幸せだ、って思う人だっているんだよね」
 開かれた口がすっと閉ざされ、急に切なげな色が彼女の瞳に溢れて来た。
「今まで」
 言葉がブツリと止まる。項垂れ、彼女は言葉を紡ぐ。
「私に殺された獣人達……差別され続けた人達、どう思ってたんだろう?」
 震える右腕をしっかり掴む。唇はフルフルと震えていた。
「『何で』って……『死にたくない』って、そんなふうに思ってたんじゃないかな」
 獣の森での出来事が彼女の瞼の裏にまざまざと甦る。
「ナシェルと旅して、いろんな事に気付かされた。知らなかった事……知ろうとしなかった事」
 首が上がり、ナシェルと視線が重なる。
 ティアは輝く瞳を彼に向けた。
「世界って……広いんだね」
 箱が崩れたような気がした。
 禁断の呪文を唱えたような心地だった。
 痛いほどの、焼き焦げそうなほどの光が彼女を照らした。
「ティア」
 無垢な煌めきが彼女に注がれる。
「人は信じられないって言ったよね?」
 是とも否とも彼女は挙動しなかった。
「でも、さ、ティア。誰も信じられないなんて、悲しいよ」
 諭すような口調。
「ホントに辛い時、一人じゃどうしようもない時って、やっぱりあるから……2人ならできる事って、きっとたくさんあるはずだよ」
 気恥ずかしそうに彼は頬を染めた。
「だから……僕らはここまで来れたんだ」
 ティアは静かに俯いた。
「ティアが幸せなら僕も幸せだ。僕らは、仲間だろ」
 尋ねるように言う。
 ティアはようやく、こくんと頷いた。
「そうね」
 ナシェルはティアの両肩を抱くように触れる。
「信じていいよ……僕は、裏切らない」
 その言葉にティアはナシェルの胸板を触れ、彼の二つの眸を両の眼で貫いた。
「じゃあ、約束して」
 強い言葉にナシェルは一瞬怯むも、すぐに笑み装った。
「ああ、もちろん!」
 真剣に彼女を見つめる。
「僕は、どんな時でもティアを裏切らない。約束する」
 ぐっ、とその奥にある考えを読み取るようにティアはナシェルの瞳を覗き込んだ。
「約束ね?」
「約束だ」
 柔らかい笑みが彼女の顔に灯る。
「あろがとう、ナシェル」
 彼女と同じ種類の笑みを浮かべナシェルは漏らす。
「きっと、ライオネルさんやローズさんだって同じだよ」
 満面の笑みがナシェルの顔を支配した。
「もう、ティアは独りじゃないんだ」
 うん、と彼女は頷いた。
 じゃぁ、戻ろうか。と、ナシェルが促す一方で、二人のやり取りをずっと孤児院の影から見守ってた2人がクスクス笑っていた。
「恥ずかしい奴らだな〜」
 独り言みたいに呟くライオネル。
「見てるこっちが照れるわよ」
 のぞき見た光景にはにかむローズ。
「まぁ、何はともあれ、よかったよかった」
 彼は悪巧みでも思いついたような笑顔を浮かべる。
「ニブいナシェルもそろそろ気付くだろ」
 それにローズはふっと足もとへ言葉を漏らした。
「ここにもニブい人がいるけどね」
 その言葉にライオネルは首を傾げる。
「何でもないわよ」
 ローズは目を細めた。
 それは彼に向けたものであり、彼に向けたものではなかった。

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